「プロデューサー。わらひは酔ってにゃんかいまへん」  テーブルを挟んで、目の前には顔を赤くした律子がいた。彼女はビールを一気に煽りながら、 そんなことをのたまった。  ここは俺の家。律子は今、スーツの上着を脱いで、ブラウス姿だ。  ……今日、律子がプロデュースするアイドルのライブがあった。彼女の日頃の努力が実を結び、 ライブは大成功した。  そんなわけで、スタッフ同士の打ち上げのあと、俺の家に河岸を変えて二人だけの二次会としゃれ 込んでいたのだが―― 「律子……大丈夫か?」 「んくっ、んくっ、……ぷはぁ……っ。でーすから、ぜんぜん、酔ってましぇん」  打ち上げのときは、一応はライブの責任者という意識があったからか、あまり飲んでいなかった。 しかし俺の家に来たとたん、見事に酔っぱらいになってしまった。 「よく飲むなぁ……ライブの成功、嬉しかったのか?」 「うれしいなんてもんじゃ……ないわよっ」  どん、と律子が持っていたビールの缶をテーブルの叩きつける。その勢いで中身が辺りに飛び散った。 「不安で不安でしょうがなかったわ……我がしんせー事務所の先行きを決めると言っていーくらいの、 たいせつなライブだもの……っ」  よよよ、と涙をこぼす律子。……こいつ、意外と泣き上戸だったのか?  ……律子が、765プロから独立して、新たな事務所を作りもう半年になる。我が事務所が育てた 第一弾アイドルのライブ……確かに、律子にとっては特別な想いがあったのだろう。 「せいこうして……ほんっっっっっっっとうによかったわー!」  あ、今度は笑顔になった。  酒飲むと性格変わるのか、律子って。 「でもね、ライブなんてほんっとーはどーでもいいのよ」 「……は?」  いきなり何を言い出したのだろうか。 「あの娘、ちょっとゆるせないわよー……っ」 「あの娘、って……春香のことか?」  春香、とは律子がプロデュースしているアイドルの名前だ。少々ドジなのが玉に瑕だが、素直で健気な いい女の子だ。 「そーそー、あの娘ね、さいきんあなたに色目つかってるでしょーっ」 「色目って……んなバカな」 「バカはあなたよーぅ、女はそーいうのにカビンなんだからぁーっ」  そう言って律子は豪快にビールを飲み干す。既に顔は真っ赤である。自分のことを顧みる余裕もないのか、 ブラウスが豪快にはだけてちょっとエロい。 「春香のやつー、あろうことか、わたしに“シャチョーって彼女とかいるんですか?”って聞いてきたのよーっ」  ちなみに社長とは俺のことだ。俺は昔律子をアイドルとしてプロデュースしていたのだが、その縁で 彼女が独立する際に誘われ、一気に社長にまでなってしまった。  しかし、律子は昔のクセでいまだに俺のことを“プロデューサー”と呼ぶし、俺自身も“社長”と呼ばれる のに慣れてなかったりする。  閑話休題。 「春香が……俺に? あはは、それは嬉しいなぁ」 「な……っ、なーにばかなこと言ってんのよーっ!」  俺が笑い返すと、思い切り律子に怒鳴られた。 「いーい、あなたは私のカレシなんですから、そこんとこ自覚もってくださいっ」  う。面と向かってそう言われるとちょっと恥ずかしい。 「で、でも……“アイドルに影響与えると嫌だから、俺たちの関係は隠そう”って言ったのは律子だろ?  それは難しいような気が……」 「かんけいないですっ、万が一春香にこ、コクハクとかされたら、ダンコたる決意をもってして断ってくださいっ!」 「……そ、それは……」  ちょっと酷くないか、と言おうとした。  のだが。 「うぅ……やっぱり私なんて魅力ないですよね……いいんですよぅ、自分はマニア好みだって分かってますから……」  また泣き出した。要するに、律子は酒飲むと感情の起伏が激しくなるのか。  しかしまぁ……普段見られない表情だからか、涙目な律子はやたら可愛らしくてちょっと困る。 「そんなことないって何度も言ってるだろ? その証拠に、お前がアイドルだったときはAランクにまでなれた じゃないか」 「あれは、プロデューサーの手腕のおかげですっ」  手腕、かぁ……そう言ってもらえるのは嬉しいんだが。その代わりに俺の彼女が卑下するのはいただけないな。 「うぅー……このままじゃプロデューサーが帰らぬ人に……」  どういうことだ、おい。  うーん。なんか変な空気になっちまったな。  ……と、ふといいことを思いついた。  まぁ――律子も酔ってるし、明日には忘れてるだろう。俺も酔った勢いということにしてしまおう。 「律子」 「……?」  俺はテーブルの反対側へ体を移動させ、律子の側にいく。  軽く頭を撫でながら、――そのまま、唇を重ねた。  恥ずかしいから、ほんの一瞬だけ。  すぐに唇を離す。 「ぁ……」 「……な? 俺がこういうことしたいくらい、律子が魅力的ってことだ」  うわー、なんかすげぇ恥ずかしいこと言ってんな俺。いやいや、酔った勢い酔った勢い。 「……ぷろりゅーさー」  律子はそう呟いたかと思うと、 「うわっ!」  突然俺の胸に体当たりしてきた。その衝撃で、俺は床に倒れてしまう。律子に押し倒されたような体勢になっている。 「り、律子……」  律子が俺の肩に手を乗せ、真っ直ぐに見下ろしてくる。 「……だーりん」  そう、小さく呟いたかと思うと、今度は律子の顔が降りてきて―― 「ん……」  キスをした。今度は深く――甘く。  律子のほうから舌が差し出され、唇を割って俺の中へと侵入してきた。  ビールと、彼女の唾液の甘い味がした。  俺も求められるがままに彼女と舌を絡ませあう。舌の腹をなぞり、先を吸い、口内の隅々までに行き渡らせる。  俺たちの体はぴったりと密着していて、彼女の熱い吐息と体温を直に感じることができた。  ……長いキスだった。  唇を離すと、口の周りはどろどろで、俺の服にまでしたたり落ちていた。  律子が顔を上げ、俺の目をじっと見る。酔って赤くなった頬と相まって、いやに淫靡な視線だった。 「ダーリン……好きよ」  真っ正面から、律子はそう言った。  大真面目な顔で言われたので、なんだか照れてしまう。というか、あらためて“好き”と言われたのなんて初めて じゃなかろうか。 「……ふふ」  と思っていたら、今度は律子の顔がにへらと笑みの形を作る。 「んふふふふー」  がば、と俺に抱きつく。肌の柔らかさが手に取るように分かった。  俺の耳元に顔を寄せ、囁く。 「だいすきよ、ダーリン」 「…………っ」  優しげな声で囁かれたので、思わず背筋がとろけそうになった。 「だいすき……本当に、だいすきっ。ずっとずっとすきだった。素直じゃないから、言えなかったけど……ふふ、 すごく、あいしてるの」  連続で囁かれる。  これは、正直……ヤバイ。 「ダーリン。あのね、私、本当は……あなたが思ってる以上に、あなたのこと、だいすきだから。それ、知って おいてほしいかな」  あの、普段は冷静沈着な彼女が、こんなことを言うなんて。  ……いや、律子にも弱い部分が存在することは知っていたし、そういう面を俺に見せてくれたからこそ、俺は 律子に惚れたわけだが……。  それにしたって、これはヤバすぎるだろう。 「ダーリン、私のこと魅力的って言ってくれるなら……もっと証拠、見せてよ」 「……しょう、こ……?」  俺の理性はマジで壊れる五秒前だったのだが、一応そう聞いた。 「そ。……ね?」  熱っぽい目で、彼女が問いかけてくる。 「……どうなっても、知らないぞ」  俺の意識は、そこで途切れた。 * * *  翌日―― 「…………」 「…………」  俺と律子は二人仲良く出社した。  ……まぁ、“仲良く”というのは言葉のあやであって、本当に仲むつまじく腕を組んでいたわけではない。  昨夜、理性が途切れたといっても、“したこと”自体は俺の記憶にしっかり刻まれていた。  更に言うと、律子も――どんなに酔っていようと、泥酔状態時の記憶はちゃんと残っているらしかった。  ので、俺は律子の顔を見られなかった。死ぬほど恥ずかしくて。  同じように、律子は俺の顔を見られないようだ。  今ここに布団があれば、頭を抱えて足をばたばたさせて、恥ずかしいことを言った自分を殺してしまいたい。 「あ、おはようございます。律子さん、社長」 「あ、ああ、おはよう。昨日のライブ、お疲れさま」  明るい笑顔を浮かべて、とてててと春香が近づいてくる。そのおかげで、気まずい雰囲気が多少緩和してくれた。 「……あれ?」 「な、なによ」  春香が、俺と隣の律子の顔を交互に見た。そして、何故かにやりと笑みを浮かべた。 「ははーん……律子さん、昨日はがっつりいっちゃいましたね!」 「……っ!? ちょ、は、春香、何を言って……っ!」  律子が顔を真っ赤にして怒鳴る。 「大丈夫ですよぅ、律子さん。私、お二人の仲はとっくに知ってますから。社長さんに手を出したりはしませんって♪」 「……っ! は、はるかぁ――っ!!」  律子は今にも噴火しそうな赤い顔で、春香に駆け寄る。楽しそうに笑い声をあげながら、春香は彼女から逃げる。 「…………」  俺はぽりぽりと頭をかいた。  つまり、知らぬは本人ばかりなり……。よーするに、律子は春香にからかわれてたってことなのか。  ……まぁ、アレだ。俺は、事務所内でおいかけっこする春香と律子を見ながら、思った。  律子が不安にならないように、できるだけ側にいてやろう。  好きなんだし、な。