「わたしがねむるまで」 「おーっす、澪、元気かー?」 「……ん」  私の部屋のドアが開かれて、少し抑えられた、それでも明るい声がやってきた。 「律……?」  ベッドの上で上半身を起こす。まだ体がだるいので、少し手間取ってしまった。 「あ、ごめん。寝てたところだったか?」  律が申し訳なさそうに頭をかいた。 「いや……だいじょうぶ」  そう言った途端にセキが出た。少し喉がイガイガする。 「無理すんなって」  勝手知ったる人の家、律は遠慮なく床に腰を下ろす。  と、彼女がビニール袋を持っていることに気づいた。 「それは……?」 「えー? あー、うん、む、ムギのやつがさ、持ってけって渡してくれたんだ。栄養ドリンクとか、 スポーツドリンクとか、あと冷えピタとか!」  律はちょっと恥ずかしそうに目線を外しながら、袋の中身をテーブルの上に並べた。  なるほど、“薬局で病人によさそうなものを手当たりしだい揃えてきました”という感じの物が 置かれていく。ご丁寧に大衆薬まである。病院に行ってきてちゃんと薬をもらってきたのに。  あのね、律。そのビニール袋に書いてある名前の薬局は、うちのすぐ近くにあるんだ。わざわざム ギがこっちまで来て買いにくるとは思えない。  それに、律の好きなガムが一緒の袋に入ってるぞ。病人にガムを食べさせる気か?  私の口から、自然に笑みがこぼれてきた。 「な、なに笑ってんだよぅ」 「べつに」  バカだな、律。  素直にありがとうって言わせてくれたっていいじゃないか。 「……にしても、災難だったよな、澪。今度は澪に伝染するなんてな」 「発端は律だろ?」 「ナ、ナンノコトヤラ」  律は目をそらして口笛を吹いた。まったく。  ……一波乱も二波乱もあった学園祭もなんとか無事に終了し、唯の風邪もなんとか治っていた。  が、その風邪がうつったのか、それともウィルスが各所に蔓延していたのか、今度は私がダウンす る羽目になってしまったのだ。  律→唯→私と、綺麗な循環ぶりである。  兆候が出始めたのは昨日からだった。軽い頭痛に、喉の痛み。これ以上軽音部内で風邪を流行らせ るわけにはいかないので、昨日は大事をとって部活を休んだ。  が、結局風邪はどんどんひどくなり、今日は学校さえ休む羽目になってしまった。  薬を飲んで若干落ち着いたものの、しばらく抜けきりそうにない。 「みんな、どうしてる?」 「んー、心配してたよ。特に唯なんかは責任感じてたみたいだなー」 「そっか」  変なところで心配性な唯のことだ。あとでちゃんとフォローしておかなくちゃ。 「あー、でもさ。今日、澪ん家にお見舞い行こうって誘ったんだけど、なんかみんな用事があるみた いだったんだよな。唯とか暇そうだったのになぁ……ムギに止められてた」 「そうなのか?」 「うん。みんな、なんか企んでんのかな」  ムギのやつ……あの子も、変なところばっかり気を回すんだから。 「でも、律は一人でも来てくれたんだね」 「そ、そりゃ……み、澪だって私のときに来てくれたし……お、お返しだよ」  少し顔を赤くしつつ、口をもごもごさせながら律は言った。  ちょっと間が空く。  ふと律に目をやると、あぐらをかきながら足を揺さぶっている。視線は下を向いており、どこか落ち 着かない雰囲気を出している。 「律。どうかした?」 「えっ!? い、いや、どうもしないけど。なに?」 「何か言いたそうだったから……」 「え、っと」  そういえば、と私は思い出す。こうして二人だけで話し合うのは、私が律のお見舞いに行ったとき以 来かもしれない。  律は長い間黙ったあと――ぽつりと言った。 「……ごめんな」 「え?」  私が聞き返すと、律は申し訳なさそうに言い直した。 「ゴメン。今思い返したら、私、澪に相当イヤなことしてたよな」  学園祭の前、律が風邪を引いてたときのことだろうか? 「別に、怒ってないって言っただろ。それにあのとき律、風邪引いてたんだ。しょうがないよ」 「そんなの、言い訳だよ。……ホントに、ごめん」  ふざける様子もなく、律は真剣な口調でそう言った。 「気にしてないよ」 「……ホントに?」  と言って、上目遣いで私を見る律。  なんだか、怒られた子供みたいだと私は思った。 「ホントにホント」 「これからも仲良くしてくれる?」 「律がいい子にしてたらな」 「……へへ」  律ははにかむように笑って、 「――よかった」  そう、嬉しそうに言うのだった。  なんだか、だるい体でも見とれてしまうくらい、その顔は綺麗だった。写真に収めておきたいくらいに。  そのまま、またしばらく間が空いた。 「あ、それじゃ、私帰るよ」  律が少し慌てて、といった感じに立ち上がった。 「長居して悪い。それじゃ澪、元気に――」 「……待って」  私は、律を呼び止めた。 「な、なに?」 「お返し、だろ?」  あのときああ言った律の気持ちが分かった。やっぱり、こんなときは誰かと一緒がいい。 「私が眠るまで、そばにいてよ」 「……いいの?」  意外そうな顔で、律は聞き返してきた。 「うん、お願い」 「――分かった」  顔をほころばせて、律は再び床に座った。今度はさっきよりベッドに近くに。  私はベッドに体を横たえる。と――律が布団の中に手を入れて、私の手を探しだして、握ってくれた。  この前、私がやったみたいに。 「……律。なんかさ、適当に話してよ」 「それだと、眠れないんじゃない?」 「ううん。律の声、安心するんだ。いい子守唄になると思う」 「変な子守唄。……ま、私の話でよければ――」  律はそう言って、色んな話をしてくれた。  私のこと。律のこと。軽音部のみんなのこと。演奏のこと。学校のこと。勉強のこと――  ――本当は、寂しかったこと。私が律から離れてしまうんじゃないかと不安だったこと。私が和と話し ていて、軽く妬いていたこと。  少し涙交じりに、律はそう言ってくれた。  ……でも、それは律だって同じだろう? 軽音部のみんなと過ごす時間が増えて、私たち二人でいるこ とが少なくなったじゃないか。  それなのに律は、“私”より“みんな”を優先するんだ。唯のギターを直しにいった楽器店のときだっ て、そうだった。  寂しいなら、寂しいって言ってもいいのに。本当に、不器用なんだから。  私も律も、だけれど。  ――私が律から離れるわけなんてないよ。  そう返事する代わりに、私は律の手を握り返した。  だって今、律の手が、こんなにあったかいんだから。 * * *  いつの間にか、うとうとしていた。  まだ眠ってはいない。けれど起きているわけでもない。  耳は律の声を捉えているけれど、その話がどういう意味かよく理解できていない。 “……澪? 眠った?”  律の声。 “澪。それじゃ、私は帰るよ。……ありがと”  意識が、遠のいていく……。 “好き、だよ”  頬に、何かやわらかい感触がした。  それと同時に、私は眠りに落ちた。  私もだよ。律。